スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

河川と街

フェイスブックの投稿の転載です。

この手の話に詳しい、あるいは入門的な書物でいいので知っている人はいないかなぁという期待を込めて。

中世あたりまでにすでに十分に都市として機能している街は歩いていて面白い。都市の発展は、何らかの外敵から身を守ることを想定して作られているものが多く、また現在でも防衛機能を果たすものの遺構が残されている場合もある。とりわけ、河川の存在は大きい。外敵がアクセスする手段を限るのみならず、同時に生活水になったり、物資を運んだりと大きな役割を果たす。

自分が実際に歩いてみた限りでの例を挙げれば、まずはパリ。パリは言うまでもなく、セーヌ川と、その中洲にあるシテ島を中心に発展している。今はルーブル美術館になっているテュイルリー宮殿はセーヌ沿いにあるし、ノートルダムはシテ島の中。聖俗の権力が街の中心になっている。記憶が正しければ、有事の際にはシテ島という自然要塞に逃げ込めるという地理的条件が、パリに人を集める一因となっていたはず。教皇が一時転居を余儀なくされたアヴィニョンでは、当の教皇庁が、ローヌ川を背にする小高い丘の上に作られており、外敵が対岸から背後を襲うことは難しい作りになっていた。巨大な壁に囲まれた要塞都市カルカソンヌも川べりに作られており、万が一籠城となったとしても、水源まで壁の外に出ることなく至ることが出来た。水の確保が問題だったのがよく分かる。

ついでに述べておくと、メルロ=ポンティの生地ロシュフォールの発展の基礎は、マゼラン宰相時代のルイ14世が、かの地に航海技術の要ともなるロープ工場を作ったことにある。シャラント川が蛇行しながらも、船によるアクセスが十分可能である川幅を保ったまま、ある程度の内地まで届いている――つまり、軍事上の重要拠点であるけれども、外敵にとってみれば海からのアクセスは、いくつもの砲台のポイントをかわさねばならず極めて困難だし、街は川に囲まれる形になり、自然と陸路の行軍路も限られる(蛇足に蛇足を重ねると、フランス海軍が初めて潜水艦を作ったのもこの町のはず)。

トゥールーズという町は、ガロンヌ川が東西に走り、南北に分かれているのだけれども、まだ歩いてみた限りでの印象は、川と街の発展の関係が見えてこない。川のすぐ側に市庁やら重要な教会やらあれば分かり易いのだけれども、そうなっていない印象。どこを中心に発展したのだろう…、そろそろ観光局へ行ってみて、情報を貰ってくるべきかしら…。あるいは、僕が知っている街の発展のパターンとは少し異なるのだろうか…などと考えてみて、もし中世の街の発展史がよく記述されている書物をご存知の方が居ましたら是非教えて頂きたいと思い、こんなことを書いてみました。

文章だけではちょいと淋しいので、ガロンヌ川の風景写真をついでにUPしておきます。あいにく散歩中に日が陰ってしまい、映りが悪いのはご容赦願います。

P1050852.jpg
スポンサーサイト
プロフィル

×さとし

Author:×さとし
旧ブログはこちら→ journaldijon.blog101.fc2.com/

今はトゥールーズにいます。エラスムスの学生として、ヨーロッパのあちこちで迷子になっていくはずです。

カウンター
最新記事
コメント
アーカイブ
カテゴリ
Derniers rétroliens
検索
リンク
Code QR
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。